独学公務員)Takatora 電車運転士や古民家などなど

高卒で電車運転士しながら独学で県庁のキャリアへ転職。築100年の古民家に住む。現在無職…どうするTakatora

諦めないために必要なこと

おはようございます。

Takatoraです。

 

 

いつもの料理が感動の美味しさに

 

今回紹介する会社は、とある鉄鋳物の町工場です。

 

この町工場は、ただの下請け企業ではありません。

 

ひとつ1万円もするフライパンを製造しているんです。

 

しかもそれが、2年待ちの大ヒット商品なんです。

 

フライパンといったら、イケアやニトリで1,000円くらいで手軽買えますよね。

 

それなのに、なぜ1万円のフライパンが売れるのでしょう?

 

それは、とても丈夫で15年以上使ってもほとんど傷がつかないからです。

 

そうすると1年換算で計算すると大した金額になりません。

 

丈夫だからだけではありません。

 

実はそれまでこの世に鉄鋳物のフライパンは存在しなかったんです。

 

存在しなかったのは理由があって、技術的に非常に難易度が高かったのです。

 

鋳物の厚さは5ミリが限界で、それより薄くすることはできませんでした。

 

しかし、厚くしてしまうと、非常に重くなってしまい、フライパンなのに片手でフライ返しのできないフライパンになってしまうのです。

 

フライ返しが出来いのに、フライパンとは言えないですよね。

 

今回紹介する企業が製造する「魔法のフライパン」は、鉄鋳物でなんと1.5ミリの厚さに仕上がっております。

 

鉄製のため熱伝導が良いのであっという間にフライパンが高温になります。省エネルギーですね。

 

そして炭素が含有されているから熱を逃しません。

 

調理器具はどちらかというと、料理のおいしさよりも手軽さが優先されてきました。

 

使用後の手入れの簡単さがそもそもの目的になってしまった商品も人気を集めています。

 

しかし、今回紹介する企業「錦見鋳造」は、今までなかったものを売ることにかけた会社です。

 

錦見鋳造 (にしきみちゅうぞう)

 

1960年、現社長の誕生とともに錦見鋳造は創業します。現社長の父が創業しました。

 

創業当時は、自動車部品の下請けで作る町工場でした。

 

現社長は、そんな下請け部品をつくる会社に対して物心ついた頃から好きになれませんでした。

 

下請け仕事で真っ黒になって働いている親の姿は格好良くなかったからです。

 

そんな現社長は父親の会社に入ることを嫌がりホワイトカラーの仕事を目指して大学試験に挑戦しますが、失敗してしまいます。

 

そして1981年、錦見鋳造に入社します。

 

入社すると営業担当として取引先を次々に開拓しました。

 

バブルの好景気の影響もあったそうです。

 

しかし、バブル崩壊で一気に売り上げが激減。あっという間に窮地に立たされます。

 

そんな時に売り上げの6割を占める会社に呼び出しがありました。

 

なんの話だろうと伺ってみると、取引先担当者から単刀直入に言われます。

 

それは、「仕入れ価格3割値下げの要求」です。

 

君の代わりならいくらでもいる

 

いきなり呼び出しで何かと思えば、仕入れ価格3割値下げの要求。

 

ふざけんなですが、社会は理不尽ですよね。

 

私も社会に出て何回も理不尽な目にあわされてきました。

 

もちろん錦見社長はそんな要求受け入れられるはずもなく、「そんなことしたら潰れてしまいます!」と値下げ撤回を懇願します。

 

それに対し取引先担当者は、「それならお宅との契約は打ち切る。君の代わりならいくらでもいる」と冷たい態度をとります。

 

そんなどん底のときに言わないでくれと思いますよね。

 

会社の売り上げの大部分をひとつの企業に頼ってしまうと、このようなかなり悲惨な事態をまねいてしまう恐れがあります。

 

この時、錦見社長は悔しさだけでなく、悲しさや怒りなどいろいろな感情が沸き起こったと話しています。

 

決意したきっかけ

 

廃業か、みんなの生活のために事業を継続させるのか、錦見社長は悩みます。

 

自分の会社の従業員のことを考えると、かなり悩みますよね。

 

その時たまたま目にした新聞の社説に目を奪われる。

 

そこには、「企業が生き残る為には他社よりも3倍の技術力を生み出すしかない。それを達成できれば価格競争に飲み込まれなくて済む。」と書かれていました。

 

この社説で錦見社長は決心します。ここから下請け町工場の意地の逆襲が始まるのです。

 

値下げ要求してきた会社と決別し、自社商品の開発に乗り出します。

 

まず錦見社長は、何を作ろうかとホームセンターを見て回ります。

 

そこで目にしたのは鉄鋳物の調理器具です。

 

鉄鋳物は「5ミリの壁」と言われており、厚さが5ミリが鉄鋳物限界と言われてきました。

 

そこで錦見社長は、5ミリ未満の鉄鋳物を作れば売れるんじゃないかと思い、試作品を作り始めます。

 

なんという実行力。はたからみればバブル崩壊のこの時期に、だれも作ったことのないものを作ろうなんてやめた方がいい。

 

と言うに決まっているでしょう。しかし、錦見社長は作ります。

 

すぐさま鉄鋳物の鉄板の試作品を作りました。

 

さっそくそれを親戚の叔母の営む喫茶店に持ち込みます。

 

「客の料理、これを使って出して欲しい。」と。

 

ちょうどいい親戚がいて良かったですね(笑)

 

叔母は訳のわからないまま、その鉄板で豚の生姜焼きを作って客に提供します。

 

すると常連のお客は、「肉変えた?うまいよ。」と好評!

 

これで錦見社長は自信を持ちました。目論見は間違ってなかったのです!

 

フライパンの鉄鋳物を作ろうとしたのは、調理器具の中で、最も身近な調理器具だからです。

 

そして、フライパン自体が完成品であり、部品ではないので、また下請けいじめを受けることがありません。

 

よく考えれば、鉄鋳物フライパンの発想はかなりの当たりでした。

 

錦見社長は鉄鋳物のフライパンを1.5ミリの厚さで作ることを決断します。

 

今までの経緯のとおり、この社長は楽観的なところが感じられます。

 

たとえば、今までにない商品について錦見社長は、

 

『「ない」=売れない商品』ではなく、『「ない」=チャンス』と捉えています。

 

こういった思考も成功の要因かもしれません。

 

しかし鉄鋳物のフライパン作りは一筋縄ではいきません。

 

いくら作ってもできるのは、穴が空いたり、ヒビが入ったガラクタばかり。

 

ポイントは、火の強さと、炭素などの成分の配合だということは分かっていました。

 

1℃・1gレベであらゆるパターンを試して、正解に近づけるしかありません。途方もない作業です。

 

一つの試作品が出来上がるまで2日かかり、費用は原料費だけで20万円もかかります。業績の苦しい会社にこのコストはかなり堪えます。

 

そしてあっという間に3年間が経ち、2,000万円の資金が消えました。

 

まさにギリギリです。

 

成功のきっかけ

 

すでに3年間もの月日が流れましたが、転機は思いもしない形で訪れます。

 

いつも通り試作品を作っているとき、宅配業者がきます。

 

錦見社長は仕方なく作業現場から離れて荷物を受け取ります。

 

荷物を片したらすぐに作業に戻りました。

 

が、ここで錦見社長は誤って炭素を1度投入したのをうっかり忘れてしまい、もう1回入れてしまいました。2倍の量を入れてしまったのです。

 

「やっちまった」と思いましたが、それを捨てるのはもったいないですから、錦見社長はダメ元でその溶けた鉄を型に流し込みました。

 

まったく期待しなかった今回の試作品ですが、仕上がりを確認すると、まさかの、「え、できてる!?」

 

炭素を2倍にした偶然の失敗から穴もヒビもない完成品が出来たのです。

 

しかし、この時点では厚さは2ミリ。

 

まだ0.5ミリもありました。 

 

それでもほふく前進のように、成功率を少しずつあげ、試作品製造開始から9年後の2001年。完成します。

 

暑さ1.5ミリ980グラム。世界のどこにもないフライパンができあがりました。

 

9年間なんて途方もない期間ですよね。でも錦見社長は諦めませんでした。 

 

そして発売すると、雑誌やテレビで紹介されて、百貨店に並ぶとあっという間に注文が殺到しました。

 

一気に品切れになりました。

 

1万円もするのに、最大2年半待ちとなった。

 

その後、どん底時代は1億円を下回った売り上げが3杯以上となりました。

 

まさに下請け町工場逆転劇です。

 

辛かった時期を振り返って

 

「君の代わりはいくらでもいる」

 

屈辱の言葉をバネに挑戦を始めた錦見社長は、自分だけのものづくりを成し遂げたのです。

  

代わりはいくらでもいると言われた時の心境は?

 

悔しかったり悲しかったり。

 

でも、この仕事はそもそも向こうが頼んできた仕事でありました。

 

その引き受けた仕事が社内の売り上げ比率を占拠してしまい「ダメになった」と値引きされたいう経緯があります。

 

取引先から見れば、当たり前の交渉だったのかもしれません。

 

バブル崩壊により同業が廃業する中で継続した理由は?

 

廃業をする場合は次に何かをしなければいけないが、社長自身何も見当たらなかったからです。 

 

勤めに出るという選択肢もあったが、人に雇われるのは無理だということです。

 

確かに、世の中にない商品を開発する人間にサラリーマンはなんか出来そうにない気がします。

 

フライパンを作るときに一番難しいところは?

 

型に鉄をスムーズに気持ち良く流してあげること。

 

この「気持ち良く」というフレーズに錦見社長のフライパンに対する思いが詰まっている気がします。

 

同調性や共感性があると、良いものがどんどん出来ていくそうです。

 

現在、「代わりはいくらでもいる」と言った人に対してどんな気持ち?

 

きっかけになったのは間違いないので、会ったら「頑張ってます」と伝えたいそうです。

 

生き残ってますと。

 

もう憎しみなんてないのですね。

 

憎しみからは何も生まれない。

 

きれいごとかと思いましたが、真実かもしれません。

  

諦めないために必要なこと

 

試作品製造開始から完成まで9年もかかったのです。いつ諦めてもおかしくないでしょう。

 

錦見社長の諦めないための金言とは、完成品が世の中の人たちに届いたときにどういう状況が生まれるか。

 

笑顔、笑い声、驚きをどんどんイメージできると続けられる。

 

と話していました。

 

さらに「方法論」考え続けること。

 

ダメな結果には必ず原因がある。

 

その原因が分かれば解決できるそうです。

 

これは今風に言うと、「PDCAを回す」ことになりますよね。

 

ちなみにこの魔法のフライパン。

 

錦見社長の奥様が魔法のフライパンだからできる料理をブログで発信しています。

錦見鋳造株式会社 | 魔法のフライパンで、いつもの料理が感動の美味しさに

 

その数なんと1,000種類!

 

錦見鋳造、今後の挑戦

 

錦見社長は今も挑戦を続けています。

 

10年をかけて自動鋳造機を製造。

 

自分で設計しましたが、まだ成功率は3%だそうです。

 

未だ売り物になっていません。

 

しかし、完成すれば生産量は一気に3倍になるそうです。

 

 なぜ自動鋳造機を作るのか。理由は2つあります。

 

1つは海外進出です。

 

アメリカ中国ヨーロッパ進出と考えると、少なくても3倍の生産量は必要だからです。

 

ここで新聞の社説に書いてあった「3」にこだわってるいます。

 

もう1つは魔法のフライパンを幻のフライパンにしないためです。

 

魔法のフライパンを作れるのは、技術が非常に難しく、いまだに錦見社長しかいません。

 

もし、病気になったら誰も作れる人がいなくなってしまいます。

 

幻のフライパンにならないために自動鋳造機を作っているのです。

 

この記事を書いたのは、錦見鋳造の成功体験を皆さんにも紹介したい気持ちもありますが、別の気持ちもあったため書きました。

 

それは私の父です。

 

私の父もバブル崩壊後の社会を乗り切って生きてきた人間でした。

 

そんな父の姿を重ね合わせながら、錦見鋳造さんのストーリーを読むと、いろんな感情が沸き起こったのです。

 

今後も、気になった企業の紹介記事を書いていきたいと思います。

前回の企業紹介記事↓

www.dokugaku-komuin.com

 

 

錦見鋳造HP

錦見鋳造株式会社 | 魔法のフライパンで、いつもの料理が感動の美味しさに

※今回の企業紹介はテレビ東京さんのカンブリア宮殿を参考に記事作成しました。

カンブリア宮殿:テレビ東京