Takatoraです。
今回は、打合せ・集団討論の心得についてです。
以前、集団討論について実際に受けた話を書きました↓
議論の最中に、ついつい意地を張って自分の主張を通そうとすることってありますよね。
でも実際、集団討論という試験でも、実際の打ち合わせでも、みんなが集まって話す場において大切なことは、人を受け入れ、包み込む大きな心を持つことです。
自分の主張を通すのだったら、勝手に一人で考えて行動すれば話ですよね。
みんなで話して決めるのは、より最適な方策を出すためです。
そういった話を、私も再確認しながら書いていきます。
人を見下さない、切り捨てない
自分のためにならない人や、ダサい人を見下したり、切り捨ててしまう人はいませんか?
特に「自分は仕事ができる」と思っている人ほどそういう傾向にあると思います。
それは人として、非常に寂しいことです。
誰だって素晴らしいところはあります。
そういうところを見ましょう。
また、それと同様に永遠に縁を切ることも寂しいことです。
たとえ酷いことをされても、人間は変わるものです。
いつまでも根に持っていては、寂しい人生になってしまいます。
集団討論でも、一人も見捨てず素晴らしい意見をまとめるべきのが良いと思います。
安易に仕返しをしない
「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ法典をいまだに守っている人もいます。
嫌なことをされた場合、だいたいそれは自分にも誤解を与えてしまったケースが多いです。
また自分のことなら我慢できても、自分の身内などのこととなると、仕返しをしてしまいがちですが、それは本当にすべきか。
一度立ち止まって考えるべきだと思います。
もし、集団討論で意地悪をされても仕返しをせず、広い心で受け止めるべきです。
その方が周りのメンバーに迷惑もかけないし、結果的に面接官への印象が良くなります。
人の弱い部分、醜い部分にも心を開く
人は誰でも弱い部分を持っています。
醜い部分や卑しい部分だってあります。そういう要素を全部合わせて人間なのです。
人間の弱さや醜さ、卑しさを分からずして、テレビ番組制作に限らず、「表現」ができるものなのかどうか。「表現」に限らず、人をまとめていくことはできないのではないか。
役所にやってくる住民全てが良心的な行為をするはずがありません。
それを「ちっ」と思うか、弱い部分についても心を開くか。
また集団討論では、みんな受かりたいから、時には空気を読めずにマニュアル発言(今までの話をまとめると…など)をする人がいるかもしれません。
その時も、「それが人間だな」と心を開いてあげることが大事です。
(何も全部許すわけではありません)
人を受け入れ、包み込む広く大きな心を持つ
いくらきみが確信をもって正しいことを主張したとしても、それによって相手との人間関係が崩れてしまうようでは、きみの主張は正しかったとは言えないのだ。
目先の論争で大きな目的を見失ってはいけない。
相手の立場やメンツを十分に考慮し、プライドを傷つけたりしないように説明する配慮が必要です。
もちろん時には人間関係が壊れてでも主張を通す必要はあります。
ただ大事なことは、大きな目的を見失わず、人の感情に配慮しがら主張するべきということです。
みんながそういった心構えで打合せ・集団討論に臨んだら、良い成果の出る確率がグッと上がるのではないでしょうか。
〈参考文献〉
杉村太郎、熊谷智宏『絶対内定』ダイヤモンド社、東京都、2018年